『東独にいた』と『ROPPEN』をつなぐ「閉ざされた国」|宮下暁作品の共通テーマを読む

公開東独にいたROPPEN-六篇-

宮下暁先生の2つの連載作品、『東独にいた』と『ROPPEN-六篇-』。 一方は冷戦期の東ドイツを舞台にした歴史劇、もう一方は殺し屋たちが殺し合うサバイバルアクションです。ジャンルだけを見ると、まったく別の作品に見えます。 けれど、2作品を並べてみると、いくつもの共通点が浮かび上がってきます。このコラムでは、その共通点を当サイトなりに読み解いてみます。

※作品の内容は、単行本の公式紹介文と序盤の設定の範囲で書いています。ネタバレはありません。

共通点1:どちらも「閉ざされた国」が舞台

『東独にいた』の舞台は、ベルリンの壁によって西側と隔てられていた東ドイツ。 『ROPPEN-六篇-』の舞台は、山口県の西にある島で日本から独立した独裁国家・六篇法国です。

一方は実在した国、もう一方は架空の国ですが、どちらも外の世界から切り離され、独自のルールで動いている国だという点で共通しています。 自由に国を出られない、自由に本心を話せない。そんな環境が、登場人物たちの選択に重い意味を持たせています。

当サイトの読み:どちらの国も、すぐ隣に「外の世界」(西ドイツ/日本)がある、という点も似ています。手を伸ばせば届きそうな距離に別の世界があるからこそ、壁の内側の息苦しさがいっそう際立つのではないでしょうか。

共通点2:体制の側にも、抗う側にも「理由」がある

『東独にいた』では、テロリストの殲滅を掲げる国家の超人部隊〈MSG〉と、体制に抗う反政府組織〈フライハイト〉が衝突します。 単行本の紹介文では、この対立が「正しい世界」を望む側と「世界の正しさ」を謳う側のぶつかり合いとして表現されています。どちらか一方だけが正義、という描き方ではありません。

『ROPPEN-六篇-』でも、軍備の拡大を進める教王と、それが日本との争いにつながることを恐れて教王を退けようとする枢軸卿・葉山和美が対立します。 そして代表者として戦う殺し屋たちにも、それぞれ戦う理由と過去があります。単行本の宣伝文で「哀しき殺し屋バトル」とうたわれているのは、そのためでしょう。

共通点3:影と明るさを併せ持つ人物

宮下先生は、『東独にいた』第1巻の発売日に公開されたインタビューで、ずっと明るいだけの人物よりも、影と明るさの両方を持つ人物に魅力を感じると語っています。

『東独にいた』のアナベルは、古本屋の青年ユキロウに想いを寄せながら、彼にも打ち明けられない秘密を抱えています。 『ROPPEN-六篇-』の主人公・藤間シフは、伝説の殺し屋でありながら、日本では相手を制圧するだけで命を奪ってこなかった男です。 どちらの作品の中心人物も、ひとことでは言い表せない二面性を持っています。

共通点4:「もしも」から生まれる国

同じインタビューで宮下先生は、東ドイツがもし別の道を歩んでいたら国として存続できたのではないか――そんな**「成功した社会主義」の姿を描きたい**と話しています。 『東独にいた』は、実在の歴史に超人部隊というフィクションを重ね、歴史の「もしも」に踏み込んだ作品だといえます。

当サイトの読み:『ROPPEN-六篇-』の六篇法国も、「もし日本のすぐ隣に、宗教と力で治められた独立国家があったら」という大きな「もしも」から生まれた国だと考えることができます。現実の地図のすぐそばに架空の国を置く大胆さは、2作品に通じる宮下作品の持ち味ではないでしょうか。

まとめ:どちらから読んでも、もう一方につながる

舞台も主人公もジャンルも違う2作品ですが、「閉ざされた国」「体制と個人」「影を持つ人物」というテーマで見ると、一本の線でつながっています。 片方を読んで心に残るものがあったなら、もう一方もきっと楽しめるはずです。


出典:現代ビジネス(2019年12月20日)、講談社・小学館の単行本紹介文(各作品の全巻リストから)、マンガペディア「ROPPEN-六篇-」。「当サイトの読み」は当サイトの解釈です。